ケルベロスの聴き方(1)──流れ星は外れたイヤホンだ

準備なしの恥ずかしさ

 二階堂和美の"なみだの色"を先日聞き返していた(「二階堂和美のアルバム」収録、2006年)。前も思ったけど必ずしも曲想としては好みでないかな、子供の声が入ったり、叙景・・・だのと無責任に思うまま、歌は「うつる空が心つれて行く」というセンテンスにさしかかる。ここまでの二階堂の歌いかた同様十分息を吸いこんで長い時間の勘を押さえている。そして、行く、といったん歌いおさめるんだ、と歌詞を見て乱暴に決めていたのだがその声がまさか長い。伸びる、声がどんどん伸びる。「行く」の音進行はCからFの高さに達し、しかも達したところで強まった声量が落ちない。
 私が恥ずかしくなったのはここだ。まさかこんなに声を伸ばすとは思わなかった。ということは、裏を返せば二階堂の側は声を最初からここまで伸ばすつもりで歌いながらずっと準備してきた、そういう声だったと思うからだ*1。同じ経験はほかにもある。それはたとえば、1972年のジョニ・ミッチェルが"Banquet"の曲中で、水上スキーヤーの「glide」に対して予想できない音価をあてて歌ってみせたときだ。なにげなく聞き流していた声が、実はこれから起こすことにかけてはるかに整えていた声だった・・・と、自分への恥ずかしさはなにかそんなところから来るのではないだろうか。そしてそのとき、声はかっこいい。だが「歌が」かっこいいとなぜ私は言わないのだろう。

ザラメで目隠されたサウンド

www.youtube.com

 20世紀前半の現代音楽とテクノロジーの出会いのうちで「人間の声」と「電子音」の関係をたどってみる。そこにたとえばシュトックハウゼンがいて、シェフェールがいる。だがカールハインツ・シュトックハウゼンに代表される「電子音楽」(ドイツ)の発明と、ピエール・シェフェールに代表される「ミュジックコンクレート」(フランス)という発想が当時は対立的であった*2ということをどのように受けとめたらいいだろうか。この事態は現在の聴者にこそおそらく飲みこみづらいものだ。一聴しただけではどちらの作品も似たような表現に聞こえてしまうからだ。構成的なところがあるのかよく判らないし、なにかに向かって進んでいる音なのかも不明瞭だ。キッキッ・プクプクプク・ブモブモ・ジャラジャラ・ワー……とこれもよく判らない音色が空間にタイミングも判らずちりばめられ、音場を埋めている。制作過程を知らなければそれぞれの「曲」を個体化してとらえるのがむつかしい。もちろんそれはアバンギャルドミュージック、前衛系、実験音楽という包括的なカテゴリーがそれなりに(ポピュラーミュージックの分野でさえも)浸透し、機能し、要は「使える」ジャンル把握になってしまった現在の感覚にこちらが支配されているせいもある。こういうのはアバンギャルド「として」聴いたらいいや、という訳だ。だが、街頭や港でサンプリングされた汽笛やざわめきや楽器の音を加工し、すなわち再生速度を速め、あるいは遅らせ、はたまた逆再生させるなどのエディット作業を経た「自然の物音」は、電子音のコラージュとそう変わりないサウンドスケープに当初からその身を近寄せていたのではなかっただろうか。
 「今までと違う音を」という理念を現実化するための方法として、街中からのサンプリング=音源元から音を環境的に切り離し、聴き手に対して個々の音の身分を特定させないように聞かせる態度が一方にあり、他方ではデジタルな音響合成によってそもそも自然に存在しない音を一から開発してみせる発想があって*3。この違いとは、やはり、決然としたものだったのだろうか。もし両者の代表的な作品例が今の耳にあまり違うように聞こえないとしたら*4、その理由を「編集」という工程に求めてしまいたくなる。実際、「OHM+ THE EARLY GURUS OF ELECTRONIC MUSIC」(Ellipsis Arts、2006年)のような初期電子音楽のコンピレーションアルバムでは、シェフェールによる電車の音を素材としたコンクレート作品"Étude aux chemins de fer"(1948年)とともに、電子音と生演奏の混じったシュトックハウゼンの"Kontakte"(1959-1960年)が採られていた。両者のカタログからコンピレーションの方向性に適う録音をあえて抜粋されて印象づけられてあることは否めないものの、それでもこうした感性布置の上で聞かされれば、そこに映るのは、理論的に明確な対立関係というよりも、あるひとつの合同的な20世紀の音響表現=「夢」(・・・・)であったかのようだ。それも同じだけ、たしかではないだろうか。混線、解体、匿名性。そして「手法」の側へのシグネチャーの譲渡。そんなに物分かりのいい話の筈がない。


 シェフェール由来のコンクレートにせよ、シュトックハウゼン派の電子音楽にせよ、同時代の音響メディアの進展と開発に深く魅了され、また実質的にも紐づけられて出現の動機を持ったのには違いない。そのとき人間の声も、身体という音源からスキャンダラスにも切り離され、ほかなるメディアの上から自在に発せられる機会を持つことになった──というのが通史ではあって*5、そのメディア観のもとにジョン・ケージの嘲笑的な"William Mix"(1952年)、スティーヴ・ライヒの決定的な初期のテープワーク("It's Gonna Rain"、"Come Out"、1965-66年)、シュトックハウゼンの"Gesang Der Jünglinge"(1956年)、ピエール・アンリシェフェールの合作"Symphonie pour un homme seul"(1949-1950年)のような事例がそれぞれの衝撃性で成立したことも、きっと事実なのだろう。それらを暴力的にまとめれば「人間の声をいかに馴染み深く聞こえさせないか」という探求と実践の流れだったことになるだろうか。その流れはやがてアルヴィン・ルシエが1969年に始めそれから幾度か再演された"I Am Sitting in a Room"というひとつの完全な虚構的=現実的なアンビエンスを用意してもいくだろう。それはすなわちルシエ自身が今から行おうとしているパフォーマンスを自己説明する短いテキストを話し、録音し、録音を再生し、再びその音源を録音するプロセスを数十回に渡り繰り返すことで、自分の声を部屋の響きの「染み」になるまで遂行するというものだった。ここにミニマルの問題や同一性の問題が込められているのには違いないにせよ、直線的な聴取に対してつねに手前の音の記憶と見つめ合うことをうながす「(((この音はかつて声だった)))」という意図でむせ返るような部屋鳴りは、ナガノのキャラクターのように「あはっ あはっ こんなになっちゃった…」とぞっとさせる嘆きをもらすこともない*6。そうではなくて、ルシエの声は、自分の身がこれからどんな運命をこうむるのか知らない、あらかじめの記憶喪失的な音響として場を占めてある。こんなになっちゃった・・・・とは、ルシエの声を指して、聴く私のほうが言っていることだ。
 それにしても通史をなぞるというのはなんて息が詰まる・・・。だからそれはここでやめる。手のように。かけそうな手のように。こんな文章をしたり顔でかき連ねてしまっている自分様に落としに行こう、べつで「がちがち」な雪のようだ、と思えるもので。これは。

アレサ・フランクリンは二度叫ぶ

 声についての解消不可能な経験があるとして、それを「極限」や「極北」の甘美な音色に誘われて、なにも現代音楽やアバンギャルドに探しに行かなくてもいい(ときに応じてやはり引き返すことにもなるだろうとしても)。聴いてきたものでいい。チャートの高い位置に登場したものでいい、ブックオフで売ってるものでいい。名前だけなら誰でも知ってそうなもので構わないという・・・見合うかは定かでなくとも、ふてぶてしい態度をつくってみよう。解消不可能な声はポピュラーミュージックにあると言ってもみよう。

www.youtube.com

 はじまりにソウルミュージックという太枠のなかで膨大なディスコグラフィーを残してきた──そのほんの一時期しか私は知らないでいる──、アレサ・フランクリンの"Good to Me as I Am to You"(「Lady Soul」収録、1967年)を聴いてみよう。管楽器とピアノに囲まれゆったりと重心深くゆれるようにアレサが歌いこむこの曲はフェイドアウトで終わるが、その終わりの十数秒手前でなにかが起きている。今アレサはなにをしたのか?と思わず聞き返してたしかめようとする意識が、次の曲"Come Back Baby"の軽快な出だしに払われる。アルバムを聞き終えたあとでようやくあれはなんだったのかという意識が戻ってくる。"Good to Me as I Am to You"の終盤をもう一度たしかめてみる。するとそれはアレサがハイノートのシャウトを使ったあと、すぐに続けて「まったく同じピッチの」シャウトを飛ばしたことだと判る。それは「Spirit in the Dark」収録の"One Way Ticket"において正確なハイノートを得ることが「声が正しく割れる」という出来事の強烈さによって体現される瞬間とも、あるいは「Aretha Now」の一曲目を飾る"Think"で「But it don't take too much high IQ……」と歌いながら、A♯からオクターブ越えの同じA♯の音高にジャンプする華麗さとも異なる強度だ。だからここで待ち受けているものはこうだ。複雑な音響実験を経ることなどなしに、まったく同じシャウトを単に二回繰り返すだけでその声はとたんに不可解なものになるのだ、と(高い歌唱技術を前提としているのはもちろんではあるのだが)。私は「歌」を聴いていた筈だった。しかし、こんな風にして「声」に出会ってしまう。
 今度は声と楽器について身も蓋もない例を挙げよう。ジョニー・ウィンターの"Too Much Seconal"だ。歌入りしてから12小節ブルース形式で見れば2小節目で早くも隙間風のように侵入してくる音はいったいなんだろうか。曲順通りアルバムを聴いてきた者は一瞬ハーモニカかと思う。ブルースとハーモニカの取り合わせがパターンであるからだが、すぐ違うと気づく。なにか息遣いに似ているが管楽器なのか。間奏に入り「その音」はソロを取りだす。ジョニーが合間に「その音」にレスポンスのように言葉で煽る。「その音」、いや「その音の持ち主」はなにか楽器を吹いているらしい。間欠的に息継ぎをしていることを休符が示す。するとさらに奇怪な音が聞こえてくる。吹いている息の音というよりはるかに、これは、楽器に息を吹きこみながら「同時に」うんうんうなるように自前の声で歌っている声だ・・・。この楽器がフルートであり、奏者はジェレミー・スタイグによるゲストパフォーマンスであることが今や明らかになっても(加えてこれがジェレミーのよく知られたスタイルであると知っても)、録音を聞くたびに動揺を隠せない。フルート自身の音よりも、ジェレミーの鼻の奥で忍び泣きとも、含み笑いとも知れない、もがける「肉声」の響きが圧倒してしまっていることに、だ*7
 私の驚きはあなたの驚きを先取りしてはいないとどこまで強く言えるだろう。高架下のちかちか街灯が消えかけている通りのようにじっとりしたアンビエンスのなか、Phewが"終曲2015"で、やった、と言っている。やった・・・・(聞き違いか?)。「やっぱり、いくらシンセと同等に捉えていても、人間の声というのは何かを伝えてしまうんですよ。たとえ意味のある言葉を発していなくても、どんなにフラットな声であっても、電子音とは違って何か生々しいものを伝えてしまうところがある。」*8。だとすればポピュラーミュージックを聴くこととは「歌」を聴いているつもりで「声」を聞いてしまっていることに関する錯綜した関係に魅了され、戸惑い、暴力されることでもある。それは私にとっては野方攝、つまりコクシネルのライブアルバムで聞ける"脳の夢"の「ぶっとんでしまう」の嘘みたいな歌い方かも知れない。蔦木栄一がふいに地声をあらわにする「覚えてろよ(この野郎)」のあまり近くに行きたくない緊張でもあるかも知れない(突然段ボール、"介添人の希望すること")。マジック・サム&シェイキー・ジェイクの残したライブ録音"I Can't Please You"のステージという遠隔性を伴う「ブルブルブルブル・・・」という唇のふるえはどうか。もちろんオノ・ヨーコの声のボルテージがそのパブリックなイメージ以上に十分参照されているとはいまだに思えないし、日本ではろくにインタビューを読むこともできないディアマンダ・ギャラスの使い切られた声に対する「感想」もいつでも待たれている(1984年のSTアルバムで見せた、「What is my name?」という自己閉塞的な訴えがある一点から「What is your name」に転じる瞬間・・・それはけして決壊的なものではないが)。1974年のライブでフランク・ザッパが"Approximate"を最初バンド全員での演奏で、次に今の演奏を「口だけで」再現するようメンバーに指示し、最後に演奏する身振りだけを行うよう指示したとき*9、ほんとうに困っていたのはなにだろう。このようにおぼつかないかきだしから今のところは始めてみたい。

*1:細馬宏通は『うたのしくみ』(ぴあ、2014年)のaiko論で歌詞を見ながら聴くことではけして経験しえない、耳でリアルタイムに言葉を辿る盲目的な聴取の醍醐味を見事に語り明かしてくれていたが、二階堂和美に対しての私の経験のように、歌詞を見ながら歌を追うがゆえに襲われる経験もある。

*2:福田達夫「ミュジック・コンクレートの思想」、東海大学紀要・教養学部、1972年(https://library.time.u-tokai.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=v3search_view_main_init&block_id=296&direct_target=catdbl&direct_key=%2554%2543%2532%2530%2530%2530%2530%2533%2537%2532&lang=japanese#catdbl-TC20000372

*3:この間の細かな消息については以下の成田和子の調査を参考にした。成田和子「音楽研究グループ GROUPE DE RECHERCHES MUSICALES における電子音響音楽 : ミュジック・コンクレート-アナログからディジタルヘ」、東京音楽大学紀要、1997年(https://tokyo-ondai.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=770&item_no=1&page_id=43&block_id=79

*4:シェフェールの"Étude violette"(1948年)はピエール・ブーレーズのピアノ演奏を加工したものだが、1953-54年に制作されたシュトックハウゼンの"Studie I"および"Studie II"とどれだけ「作品として」違い、どれだけ違わないのか、私にはうまく判らない。とはいえ、両者の録音から個々の特質を言い分けることができない訳ではない。シェフェールの場合はプチプチと耳元で発泡するグリッチ似のノイズが音場にあり、そこにピアノの打鍵によるものと思われる突起的な音がループする。現代のアーティストで言えばOneohtrix Point Neverのような「浅い」ビート感覚がある。またピアノの持続音についてもADSRのパラメーターから特定の箇所のみカットした結果だろう、シンセサイザーのような揺らぎがいたるところで生じている。あるいは逆再生の効果でか、元の音源が保持していたエンベロープの終わりから──つまりリリースからサステイン、ディケイへと逆向きに音量が発展することで、ピアノの持続音はアタックを欠くようにフェイドインしながら突端でふいに消えていく。対してシュトックハウゼンのつくりだした電子音はより幽霊的で浸透していくようなタッチであり、機器の「つまみ」が眼に見えるようだ。シェフェールのようながちゃがちゃした猥雑さは薄く、次々にいろいろな音高のサンプルをリニアに流すことが結果的にある種のメロディー単位のような出来事を発生させてはいる。オカルトの言語を使うならラップ音の激しいシェフェールのお化け屋敷と、廃屋を白い魂の緒のように貫くシュトックハウゼンアンビエント。しかし、制作背景を考慮に入れないこうした「感想」を言うことに果たしてどれほどの意義があるのかと思ってしまう。

*5:さらにさかのぼればエジソンを先駆けて19世紀中盤にレオン・スコットが開発してしまった「フォノトグラフ」──音をガラス板に波形で筆記し保存する、「記録はできるが再生ができない」という心をざわめかせる奇異な音響メディアを見いだす。なお、この「声」は今世紀に入って復元され誰でも耳にすることができるようになった。「Le premier enregistrement de voix au monde date de 1860」、Anecdote du Jour(https://www.anecdote-du-jour.com/le-premier-enregistrement-de-voix-au-monde-date-de-1860/

*6:ナガノ「キメラ」、Twitter、2019年9月16日。(https://twitter.com/ngntrtr/status/1173315527067852800

*7:これはたとえばトゥーツ・シールマンスによる"You're My Blues Machine"がハーモニカを鳴らしそれに愛の言葉を囁くようなユーモラスでもあれば異様でどこか踏み外した表現、楽器とのいわゆる「掛け合い」とはべつの出来事だ。かといって自分の楽器とのひとりユニゾンやハモりといった語彙で整理できようとも思われない。

*8:Phewの音楽は完成しない。〈プロセス〉から生まれた新作『New Decade』を語る」、Mikiki、2021年(https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/30051

*9:フランク・ザッパ/音楽に愛された男」、Sony Pictures Classics、2017年